カンボジアの貧困
カンボジアに来て、何度も貧困を目にしました。 物乞いはあちこちにいてはります。 昨日の夜、屋台で50円のおかずと25円のご飯を食べていました。 貧しそうな10歳ぐらいの男の子が手をさしのべて、 「あー」 みたいなことを言ってきました。片手には500リエル札を持ってました。 僕は無視しました。 今日の昼、別の屋台で50円のおかずと25円のご飯を食べていました。 貧しそうな10歳ぐらいの男の子が近寄ってきました、 そしたら、店のおばちゃんが「うぇい」とか言って、追い払ってくれました。 僕は何も言いませんでした。 その後、トンレサップ湖へ行く途中、休憩をしていました。 17歳ぐらいの男がちゃりで隣に来て、 「明日英語の先生に10$払えなかったら、もう来てくれないんだ。」 と言って、せがまれました。 僕は拒否しました。 すると彼は、「You are lucky,i want to go to travel」 的なことを言った。 こういうことは、カンボジアでは多々あることです。 僕は自分が貧乏旅行中ということで、お金を1円たりともあげたことなかった。 そして今日の夕方、アンコールワットへ向かった。 暗くなったので、帰ろうとした頃、雨が降ってきたので、無人の屋台に入った。 すると、はしっこのほうに、地べたに座っている男か女の年老いたのがいた。 老婆にはどっちかの足がなく、近くに松葉杖が2本、落ちていた。彼のだろう。 雨は10分ほど続いた。 その間、老婆はたばこを吸ったと思ったら、急に歌い出したり、笑い出したりした。 もしかしたら、トリップしていたのかもしれない。 でも片足ないのは間違いなかった。収入などあろうはずがない。。。 僕はその光景に恐怖を覚え、しばらく放置しておいた。 すると一連の貧困の出来事が思い出されてきた。 そして、お金を持ちながらも、一銭も与えていないということに罪悪感を覚えた。 要は、貧困という現実を直視するのが怖かったんです。 直視したら、何かをしないといけないから。 貧困というのは、無いと思えば、そのままやり過ごすことも可能ですから。 カンボジアにいる間、僕は意識して、貧しい子供達を撮影しないようにしていたんだ。 撮影したら、一生残ってしまうから。視ざるを得ないから。 でも、無視するのが自分の中で無理なとこまで来ていた。 罪悪感がたまって...